昭和61年5月2日
インターフェイスプロジェクト株式会社 設立
出身俳優・女優及びタレント
加勢大周・鈴木蘭々・熊切あさ美・伊藤久美子・星野智子・佐藤恵美・川越美和・須藤甚一郎
遠山景織子(スターダム) など
以降は、俳優、女優及びタレントだけではなく、多くのジャンルにまたがり、芸能リポーター、キャスター、お笑い関係も育成してきた。
平成2年9月8日
桑田佳祐の初監督映画『稲村ジェーン』の主役で、加勢大周を俳優デビューさせた。
そして、第3回の石原裕次郎新人賞を受賞した。
加勢大周は、吉田栄作、織田裕二とともに「平成御三家」と呼ばれ、トレンディドラマ等でも、人気俳優であった。
平成5年7月7日
「新・加勢大周」の芸名で、無名な見習いタレントを一夜にして有名タレントにした。
会見には雑誌、新聞、全てのメディア関係者200名以上が集まった。
この新人売り出しの企画により、NHKを含む全テレビ局で記者会見が中継され、アジア各国、アメリカ、オーストラリア、イギリスなどの世界のニュースにも中継が流れた。
この斬新なデビュー劇は「新・ジャッキーチェン」などの名前でもデビュー可能なのではないかと、国内及び海外のテレビ番組でも話題になり、ひとつの社会現象となった。
平成5年7月27日
今後の行く末を案じた、日本映画俳優協会の森繁久彌、二谷英明ら業界の大先輩の説得により、記者会見から21日目に「新・加勢大周」を坂本一生に改名した。この時のニュースも、アジア各国、アメリカ、オーストラリア、イギリスなどに流れた。
翌日からテレビのワイドショーを含め、バラエティー番組、スポーツ番組など出演依頼が500本以上、1日4本~7本の出演をこなした。
「坂本一生」に改名した直後に音楽ユニット「維新組」を結成した。
弊社は、時の芸人とのコラボでライブを企画し、「日本青年館」でデビューライブを開催して約3000人の入場者を集めた。「維新組」はフジテレビのイベント期間限定番組『LIVE UFO』でレギュラー出演するなど好調な走りだしだった。
※電通 PR 局によると、このプロモーションより坂本一生の芸名を全国に知らしめたプロモーションは、企画費用に換算した場合、約50億円の金額に値すると分析されました。
芸能人は、芸名が命とも言われるようになった。
平成5年12月1日
弊社が行った「新・加勢」デビューのプロデュースにより「新・◯◯」第10回新語・流行語大賞新語部門・銀賞を坂本一生が受賞した。
その後、坂本一生の芸名は売れるが主要な売上となるCM、映画等のキャスティングに苦戦した。
それでも営業などの売上中心の仕事は少数に抑えるスタンスを維持し、会社は採算の取れない苦しい経営を数年間続けた。
平成9年4月7日
各都道府県から女性メンバーを募り、「大和撫子47」を結成した。
当時は、日本テレビの「ルックルックこんにちは」番組内で須藤甚一郎から、新・加勢大周に続き、「◯◯47」と、またもや斬新なプロモーションであると評価をいただき、他局の番組でも国会議事堂や表参道での行進の様子が放映された。
企画内容としては、各タレントの「出身地を芸名の姓とし」「47都道府県ごとにメンバーを揃え」ユニットを結成した。
ちなみに「熊切あさみ」は、弊社がスカウトし「大和撫子47」 のユニットで静岡代表として活躍していた。
写真1は、国会議事堂敷地内で許可を頂いて、行進を行ったときのものである。
平成11年7月7日
海外業務、海外投資に集中するため、海外不動産部門を発足し、国内の芸能部門を縮小した。
同時に「大和撫子47」は、ユニット活動から七夕でもって卒業し、各自、ピンでの活動に切り替えた。
のちに、世間では「AKB48」や「乃木坂46」などの “多人数” かつ、それぞれの “地域密着型” のアイドルユニットが流行した。
【番組企画 】
坂本一生のプロモーションの為に、スポーツをテーマにしたバラエティー番組を企画した。
フジテレビ『さんまのスポーツするぞ』
司会 「明石家さんま」
世界オリンピック金メダリストの番組を企画
「カールルイス」「マット・ビオンディ」「ベン・ジョンソン」「セルゲイ・ブブカ」「フローレンス・ジョイナー」「クロマティー」なども出演した。
弊社は、このいくつかの企画やキャスティング業務で、世界の一流選手と交流したことで世界のトップ選手の凄さを改めて実感し、芸能分野で海外に進出するきっかけになった。
その後、芸能プロモーターとして米国俳優「アーノルド・シュワルツネガー」のスケジュールを確保し、坂本一生との対面を企画して、実現させた。
ハリウッドスターであるアーノルドシュワルツネガーと坂本一生との間にあった『筋肉質という共通点』を生かそうと弊社は考えた。
当時の日本には筋肉質路線の俳優もいなかったことから、これをプロモーションに活かした。
そのため、番組でも話題にもなったが、寒い時でも “タンクトップやTシャツでの出演” が多かった。
米国での「肉体美俳優=シュワルツネガー」である。 日本での「肉体美俳優=坂本一生」としたかった。
弊社としては、シュワルツネガーとの対面を坂本一生の実績として残したいという意図もあった。
売れるための運を呼ぶには事務所とタレントが二人三脚で歩んでいかなければならない。
その点、坂本一生こと大旗一生(本人が変更した芸名)の俳優への道は、叶わなかったが、肉体美の風潮自体は現代KPOPなどでも流行の兆しを見せている。
また、姓名判断に基づき「新・加勢太周」「加勢太周」「坂本一生」「鈴木蘭々」など注目を集める芸名も考案し、プロモーション企画も行っている。
他には、エリマキトカゲやウーパールーパー等の珍しい動物も「日本へ最初に誘致する」企画を行った。そして日本で大ブームを巻き起こした。